指揮者・ゲルハルト・ボッセ 88歳が紡ぐ“みずみずしい音楽”(産経新聞)

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 88歳。余人には計り知れない長く深い物語がある。しかしこの人の音楽に老成の二文字はない。指揮すれば、いつも新鮮でみずみずしい音楽が紡ぎ出される。

 「何度も演奏した曲でも毎回いきいきとしたものを立ち上げ、生まなければならない。楽譜を読むごとに知識は増えるのだから」

 大阪・高槻に住む。精力的に指揮を続ける傍ら、名バイオリニストとして後進の指導にもあたる。「ステージの上に立つ人間は、作曲家が伝えようとした音楽内容を、感動として聴衆に伝えることに、全力を傾けなければいけない」と信念を語る。

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 早くから才能を示し、ライプツィヒ音楽大学に入学するが、その青春時代は第二次世界大戦下にあった。

 「ナチス統治下で、ユダヤ人作曲家のメンデルスゾーンの協奏曲は弾くことができなかった。同様にヴィニャフスキやヴュータン、イザイなど技術を身につけるために学ばなければならない作曲家にも触れることができなかった」

 しかし、何度もあった徴兵検査を病気などで不合格となったおかげで貴重な経験も。占領下のオーストリア・リンツにドイツの精鋭を集めてできた「リンツ帝国ブルックナー管弦楽団」で弾くチャンスを得て、若きカラヤンやフルトヴェングラーの音楽に触れた。「フルトヴェングラーにはクライマックスまで自然と連れていかれた。今でも指揮の参考にしている」

 終戦後の1955年秋からは世界屈指のオケ、ゲヴァントハウス管弦楽団の第1コンサートマスターに就任し、東独政権下で楽員をとりまとめる重責も担った。「団員の中にはシュタージ(国家保安省)の協力者がいたため、同僚同士でもオープンになれないなど極度の緊張があった。外の世界の人には分からないでしょう」と静かに話す。

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 外貨を稼ぐために世界中に演奏旅行をした。初来日は昭和36年。まだ新幹線もない時代に東京、福島、大阪、福岡と縦断した。「印象的だったのが聴衆の集中力の高さ」と語る。

 「ライブのときだけに起きることだが、演奏家が発信して聴衆が受信した後、聴衆の感動が見えない気のようなものになって返ってきて、演奏家の演奏がさらに高揚することがある。それを日本では強く感じる」

 平成6年からは東京芸術大学に招聘(しょうへい)されて、日本に居を移し、いまも後進の指導を続ける。「私の仕事は教育者として生徒を音楽家の扉まで連れて行くこと。そこからは生徒自らが扉を開かねばならないが、私の場合は時代を超えてきたのでいろんな経験の積み方を教えることができる」

 今月9日には、その才能を高くかっている郷古廉、三浦文彰という10代のバイオリニストを擁して高槻現代劇場でコンサートを開く。6月には神戸市室内合奏団を振ってR・シュトラウスなどを演奏する。

 音楽とともに進めてきた歩みは止まらない。長い物語はまだ続いていく。(文・安田奈緒美、写真・安元雄太)

 ■ゲルハルト・ボッセ プロフィル 1922年、ドイツ生まれ。音楽教室を営んでいた父親の影響でバイオリンを始める。ゲヴァントハウス管では30年以上第1コンサートマスターを務めた。日本では霧島国際音楽祭を創設。近年は指揮活動に専念し、神戸市室内合奏団音楽監督、新日本フィルハーモニー交響楽団ミュージック・アドヴァイザーなどを兼任する。5月9日午後3時からは、高槻現代劇場で大阪センチュリー交響楽団と共演し、バッハの2つのバイオリンのための協奏曲などを指揮する。

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